小説

(MBAホルダー:佐藤祐樹著)
『振り向けばリュミヌー。人と人とのあいだに、珈琲。#001 泣く男』

「死ぬ気でやれ、どうせ死なない」
根っからポジティブな旧友の言葉に、わかっていない、と首を振った。

この手の男は、とにかく脳天気だ。

「自殺する勇気があるくらいなら、生きろ」とか、
「お前は、『お前の人生』 という名の物語の主人公だ」とか、
とにかく気が滅入ることばかり言う。

どこでそんなくだらない言い回しを覚えてくるのだろう?

おれは惨めな男である。
『おれの人生』 という名の物語なんてない。
そこには、地獄の底まで凡庸で、ありきたりで、誰も気にとめないストーリーがあるだけだ。
惨めですらない。

そんな男の人生を、自分で「惨めだな」と言って慰める毎日だ。
実際には、誰も惨めだとすら言ってくれない。
誰もおれのことなんて気にもとめない。

その証拠に、バスから降りると、大雨だ。
仙台駅から乗り込んだときは、快晴だった。

おれのことは、だれも気にとめない。

5月の通り雨に、長靴を履いた小学生がはしゃいで走る。
一緒にバスから降りたきれいに化粧した女性は、憂鬱そうに、そして当然のように、傘を開く。

おれ以外の世の中の人間は、天気予報で雨が降るのを知っていた。
おれだけが、生協スーパーの前で、雨に打たれる。

「ウチのテレビは古いからな」
そうひとりごとを言ってみる。

テレビが最新式じゃないから天気予報が当たらない、という、つまらない冗談だ。

そんなおれの横を、たくさんの人が通りすぎる。

誰もおれを、気にとめない。
惨めですらない。

旧友とは、この生協スーパーの前の小学校で一緒にすごした仲だ。
竹馬の友、だ。

おれの姿が見えている唯一の人間かもしれない。
他の誰も、おれを気にもとめないのだから。

先週、地図を作る小さな会社から誘われた。
ダムの地図だけを発行する、奇妙な会社だ。

「死ぬ気でやれ、どうせ死なない」
旧友はそう言っておれを励ました。

「やりたいことなら、迷わず、やれよ」

おれにはつまらない仕事があった。
誰にでも務まるつまらない仕事だ。
おれが長い時間、必死でやってきた仕事だ。

交渉相手も、顧客も、同僚さえも、おれのことは誰も気にとめない。
いるのが当たり前なのだ。

いなくなったら、いろんなやつが困るはずだ。
そして、しばらくしたら、困らなくなるはずだ。
最初から気にとめてなかったおれのことを、さいしょからいなかったように、完全に忘れるのだ。

下手に夢を叶えてしまって、惨めだな、と言ってくれるやつすら、どこにもいない。

雨はいっそう激しくなる。
雨だけは、おれを無視せずに、おれに律儀に降ってくれる。

雨以外、だれもおれのことなんか気にもとめない。

おれに声をかけてくれた奇妙な地図の会社だって、どうせ同じなんだろう。
ダムの地図を黙々と描いてくれるやつがほしいだけで、おれという人間に興味があるわけじゃない。

どうせなら、柄にもなく、雨に打たれてみることにする。
おれを無視しないでくれた雨に対する礼儀だ。

ずぶ濡れになって歩き出す。
ずぶ濡れで感傷に浸っているおれを、誰も気にとめずに、早足で通りすぎる。

だれも、惨めだとすら思ってくれない。
長靴の小学生も、きれいに化粧をした女も、行こうとしているところに向かって歩く。

小さな郵便局の前で、泣いてしまう。
小さな感情の種が、少しだけ涙を流させる。

何を迷っているんだ?
夢が叶うんじゃないか?

雨が、泣いていることを隠してくれているような気がする。
そう思った瞬間、その感情の種が一気に発芽する。
まるで子供向けの科学番組の映像のように、種から伸びた若い芽は、鮮やかな茎となって天に伸びていく。

「おい、何しているんだお前?」
旧友の声がする。
号泣しているおれが振り返る。

ありえない偶然じゃない。
そもそも一緒に卒業した小学校の前で、人々が帰路につく時間帯だ。

「惨めだな、お前」
旧友が、大きな声で、おれをからかう。

振り返ったおれの視線の先に、旧友がいる。
涙がとめどなく流れる。

友人の肩越しに、薄暗い明かりの珈琲店が見える。

「惨めだな、お前」

もう一度、旧友は大声で言って、笑う。

「珈琲でもどうだ?ご馳走するよ」

振り向けば、リュミヌー。
人と人とのあいだに、珈琲。

リュミヌー珈琲で、旧友はおれに何も聞かなかった。
暖かい珈琲を飲みながら、ただ、おれをからかい続けた。

誰もおれのことなんて気にとめない。
おれが泣いた理由なんて、誰も知ろうとしない。
地獄の底まで凡庸で、ありきたりで、誰もおれに興味を持たない。

でも、おれには、「惨めだな」と笑ってくれる友人が、ひとりだけいる。

『振り向けばリュミヌー。人と人とのあいだに、珈琲。#002:努力する女』

わたしは一度寝た男を忘れない。
だから、今日もすぐに彼だとわかった。

もう若くはない、と言う人がいる。
まだまだ若いね、と言ってくれる人もいる。

基準は人それぞれだ。
でも、どちらの言葉にも、共通している前提がある。
若いほうが比較的価値が高い、という前提だ。

わたしはきれいに生まれた。
親に感謝している。
しかし、わたしは、それに甘えることを、自分に許さず生きてきた。

少し明るい色の髪の毛は、ほんのちょっとだけ無造作に見えるように絶妙にカットしている。
爪には派手な装飾を避け、きれいに磨いてコーティングしている。
化粧は1年ほど遅れたトレンドを心がけ、できるだけ地味で自然に見えるように工夫している。
服装も同じで、最新の流行を追わず、数年使える品質のよいものを、多少高くても無理して購入し、大切に着まわしている。

そんなわたしを、たくさんの男が通りすぎていく。

わたしはもてる女だ。
もてる女であるように努力しているし、実際にたくさんの男がわたしに言い寄ってくる。

生まれながらにきれいで、清潔で、地味だが身だしなみがよく、それほど若くはない。
身持ちは堅そうだが処女のような不潔感はなく、ものわかりもよさそうだ。

わたしは、口説いて、楽しんで、思い出にして、次の女に通りすぎるには、もってこいの女だ。
そんなわたしを、たくさんの男が通りすぎていった。

わたしは一度寝た男を忘れない。

本気で好きになり、本気で未来を想い、夢見心地で抱かれる。
今度こそ本当かもしれない、と、考える。
そして、いつものことが始まり、いつものように終わるだけじゃないか、とも思う。

そしてある日、いつものように、男がわたしを通り過ぎていく。
男たちは、いずれわたしを忘れていく。

わたしは彼らを絶対に忘れない。

わたしはとても努力してきた。
きれいに生まれたのが幸運だったことは否定しない。
でも、その幸運に甘えずに、必死で努力してきた。

子供の頃から、きれいだからという理由で、わたしはたくさんの特典を得てきた。
優しくしてくれる大人が多かったし、何の見返りも求めずに、わたしに優しくする異性が多かった。
それに甘えてはいけない、と、幼心に思っていた。

子供の頃から、きれいだからという理由で、様々な嫌な思いを経験した。
きれいだからという理由で嫌がらせをされてきたし、わたしの中身を知ろうとしないで言い寄って来た男たちを、何度も絶望させてきた。
そんなことに負けてはいけない、と、昔から戦ってきた。

わたしの努力は年季が入っている。
片時も努力を怠らずに生きている。
だから、今日の夕方に雨が降ることも正確に把握している。

バスから降りると、すぐに実用的な傘を広げる。
必要以上に華美じゃなく、それでいて安っぽくもない、実用的で堅牢な雨傘だ。

わたしはきれいで隙のない女だ。
化粧や服装で、わざわざ隙を作るために努力が必要なほど、隙のない女だ。

そんなわたしを、たくさんの男が通りすぎていく。
昨日もひとりの男がわたしを通りすぎていった。
いつものことだ。

バス停の前の小学校の子供が、長靴を履いて走っていく。
5月の通り雨にはしゃぎながら、わたしの横を通りすぎる。

子供が走っていく先で、雨に打たれた男が泣いている。

わたしはいちいち泣いたりしない。
子供の頃からそう決めている。

男がいつものようにわたしを通りすぎていっても、わたしはへこたれない。
天気予報をきちんと確認し、傘を忘れないように前の晩から用意し、きちんと歯を磨いて寝る。
そして、次の朝には、いつものように、若くはないがきれいで清潔なわたしをつくり上げ、仕事に出かける。

泣くやつなんて、甘えている、と思う。
努力が足りないから、人は泣く。
ある出来事に動揺し、それを努力で乗り越えようという選択肢を失ったやつだけが、泣くという甘えを自分に許す。

わたしは自分に甘えを許さず生きることに決めている。
だから、わたしは泣かない。

泣いている男に、別の男が声をかけている。
声をかけている男のことは、よく知っている。

わたしは一度寝た男を忘れない。
だから、すぐに彼だとわかった。

わたしを通りすぎていった男たちに、わたしは興味がない。
どれくらい幸せになっているかとか、どれくらい後悔しているかとかを知ってもなんの意味もないからだ。

しかし、この男が、泣くという甘えを自分に許している男に対し、どのように反応するか、知りたくなった。

彼は前向きな男だった。
わたしはそんな彼を好きになった。
彼は、もっと前向きに生きられる女を選び、通りすぎていった。

ずいぶん昔の話だ。
でも、わたしは一度寝た男を忘れない。

彼は、泣いている男に、どんな反応を示すのだろう?
甘えることを自分に許している男に、どんな前向きなアドバイスをするのだろう。
前向きなアドバイスに、泣いている男は、どのように励まされるのだろう?

わたしは人からのアドバイスを聞かない。
自分で努力するだけだ。

泣いている男が振り向いた先に、小さな喫茶店が見える。
薄暗い雨空が小さな店の暖かさを強調している。
彼らは肩を抱き合いながら、その小さな喫茶店に入っていく。

振り向けば、リュミヌー。

時間をずらして、なるべく自然に見えるように、わたしはその珈琲屋に入ってみる。

気さくで若いマスターが、おすすめの珈琲をひと通り説明した後、わたしのことをきれいだと自然に褒めてくれる。
自然を装ってこの店に入ったわたしと同じくらい、完全に自然ではない褒め方だ。

わたしがきれいなのは、幸運もあるが、努力の結果だ。
それに、もう若くはない。

でも、若いマスターにはそんな説明はしない。
だれもそんな話を聞きたくないし、わたしも誰にも説明したことがない。

マスターとわたしのあいだに運ばれてくる、香りがよい珈琲。
人と人とのあいだに、珈琲。

温かい珈琲が置かれたカウンター越しに、若いマスターが笑顔で合図してくる。

泣いているお客さんがいるね。
人生いろいろあるね。

そんなことは知っている。
あんたなんかより、ずっと長い間、わたしはいろいろなことを乗り越えるために努力してきた。

わたしは人からのアドバイスを聞かない。
自分で努力すればいいからだ。

わたしのことを通りすぎていった男は、自分に泣くことを許した甘ったれの男に、どんな前向きなアドバイスをするのだろう?

それを聞いて、わたしはどうするつもりなんだろう?